艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

近況報告「冬の旅‐大阪~奈良+京都9日間(とりあえずこれでもダイジェスト)」

*FB投稿の再録です。

 

 昨年末からだいぶあわただしい日々が続きましたが、何とかこなし終えての1月15日から23日の、大阪~奈良+京都の9日間の旅のダイジェストです。

 

 1月15日 何百回か通過はしたものは、滞在するのは初めての大阪へ。夕方、京都在の高校の同級生と会い、道頓堀界隈の異文化を見て回り、その後串揚げ屋で一杯。

 

  阪神タイガースが優勝すると多くの人が飛び込むという道頓堀川の橋。「飛込み危険」と一応書かれている。

 

 この界隈のネオン(?)広告の「他より地味だったら負けや!」というありようは、東アジア的でありながら、実は他のどこにもない、ここ大阪特有の「異文化」であり、アートであろう。

 夜遅くまで人通りは多かったが、その多くがインバウンド客で、日本語があまり聞こえなかった。何を食べても美味しい!

 

 1月16日 午前中、ホテル近く寺町界隈の寺社あちこちを一人石仏探訪。午後、高島屋でのグループ展「21世紀空間思考展」の展示作業。絵画の一人は旧知の後輩だが、五人の彫刻家は初対面。終わって出品者、関係者で一席。

 1月17日 展覧会初日。終日在廊。山口から高校山岳部の後輩女子四人組がやってきて、ランチ会。奈良京都大阪の知人友人何名か来。夜、40年振りに再会の、関西方面在住の大学後輩たちと一杯。

 

 ↓ 大阪高島屋「21世紀空間思考展」、会場風景。

 

 タブローはすべて東京では発表済みだが、関西では初めての発表。出品作についてはまた別に投稿するかもしれません。

 

 ↓ 同上。

 

 予想していなかった工芸品展示用の棚があり、困ったが、常備されていた工芸品用の台が借りられたので、かえって予定していた壁面展示とは異なった面白い見せ方ができたように思う。

 

 1月18日 午前中一人、万博記念公園民族学博物館へ。思いがけず太陽の塔を目にして、家族で一人だけ万博見物を拒否した中学時代を思い出し、感慨にふける。午後、奈良県葛城市のF宅へ移動。夜、Fと一杯、二杯…。

 

 ↓ 太陽の塔

 

 前回の大阪万博は1970年、私は中学3年生。両親も兄弟も見物に行ったが、私は拒否。当時の「政治の季節(の終息期)」の風潮に影響されていた中学3年生は、そうした国策行事に対しては拒否感しかなかったからである。

 万博よりもむしろ『美術手帖』等を通して知った、「反博(ハンパク)」として異議を申し立てるゼロ次元とか、告陰とか、秋山祐徳太子などといった前衛芸術集団の活動の方に興味を持った。そのとばっちり(?)で、作者の岡本太郎に対しても、戦前のシュールレアリストとしての過去を裏切る者として見ていた。

 今回民族学博物館を見に行くにあたって、思いがけず太陽の塔と出会い、50年以上薄汚れながらそこに立ち続けている姿を見て、あるいは彼はここまでの時代のスパンを、少なくとも想像裡に想定して、作ったのかもしれないと思いあたり、ある種の感慨をおぼえた。

 

  民族学博物館はぜひ見てみたかったものの一つではあるが、予想どうりというか、期待を下回るコンパクトな規模と内容。でもまあ、意義のある博物館だとは思う。中身はほぼ全てどこかの博物館ですでに見たことがあるようなもの。

 

 ↓ 南米(ペルー?)の聖母像の神輿。

 

 キリスト教とはいっても実質は聖母崇拝である。

 

 ↓ インカ時代の褌(ふんどし)。

 

 皇帝クラスの人の副葬品だろうが、ちょっと妙に感動、納得。

 

 1月19日 奈良県天川村からやって来たA君とTさんと共に、役行者ゆかりの大和葛城山に登る。幻想的な白霧の山行。帰路、風の森神社その他の石仏探訪。夜、F宅で一杯。

 またこの日、昨年末より展示中だった「『″アート″を俯瞰する』 アートビューイング西多摩2023」展が、会場の青梅市立美術館の施設破損事故により急遽臨時休館・展示中止との連絡を受け、がく然とする(これについては別に投稿したいと思っている。)

 

 ↓ ほぼホワイトアウト大和葛城山山頂で放浪の援農アーティストTさんと一緒に。

 

 ロープウェイもあるが使わず、北尾根から標高差640mを登り、櫛羅の滝コースを下る周回ルート。まあ、役行者の御縁です。

 

  下山ルートの櫛羅の滝にあった石塔2基の背後の刻字を解読中。

 

 左の像塔だけならば不動明王と見えるが、右の文字塔の神道系の「白龍大神」と同じ内容(神仏)を表しているのかもしれない。不動明王倶利伽羅竜王竜神であり、それを神道的に読み替えたということか。「金高大神」と「龍王大神」については、今のところ不明。不動明王の脇侍のコンガラ童子とセイタカ童子に対応するものか。

 左の像塔が昭和35年、右の文字塔が昭和34年の建立だが、建立者は同一人物なので、あるいは現代版神仏習合とも言えようか。なお、少し離れた葛城市の吉祥相寺には三輪神社由来の「白龍大神」の祠が祀られていた。何だか渾然一体、一緒くたの感。

 

 1月20日 午前中、一人近くの吉祥草寺、他で石仏等探訪。午後、天川村洞川のA君宅へ移動。新しいトンネルができていて、楽にはなったものの、かつての異界への道を思わせた山越えルートが味わえなかったのが残念。温泉入浴後、A君宅で一杯、二杯…。

 

 ↓  公式の菩薩(神)様、「役小角奈(えんのおづな)」ちゃん。御所市の吉祥草寺にて。

 

 開山堂や行者会館:写経道場の仏像や役行者像などは、見ることはできたが、撮影は禁止。この役小角奈の等身大パネルだけが撮影OK。

 「2017年に役小角奈と役追儺ついなちゃん)という2人の萌えキャラクターを役小角の子孫として公認し、特大アクリルフィギュアを本堂に設置し、仏像として、本山修験宗総本山の聖護院門跡から山伏を招いて入魂の儀が行われ、不動明王のもとで修行する菩薩)という扱いになり、公式の信仰対象として祀られることになった。そのため、本尊の五大尊や役行者と並び、小角奈と追儺御朱印の授与も行われているとのこと(大意:Wikipediaによる)」。

 右下の解説には「吉祥草寺公認キャラクター 役小角奈 *得意技は人助け 役行者直系・現在16歳の女の子・六十三代目役行者を目指し不動明王様の教えに従い修行中!みんなに勇気・希望・笑顔が与えられるように!頑張ってます!」。このキャラ自体が神…。なぜ眼鏡なんだ~?これもまた一つの新たな信仰への試みと見るべきか…。今のところ判断不能

 

 1月21日 午前中、消防団出初式(?)に出席のA君をおいて、TさんとH君と共に、近所の龍泉寺ほかの石仏探訪散歩。午後、A君Tさんと共にすぐ近くの秘境「鹿の苑」(カルスト地形由来の洞窟その他)探訪。夜、A君宅で一杯二杯…。

 

   魚籃観音不動明王役行者三尊。龍泉寺弁天堂。

 

 顔の赤色には一瞬引いてしまうが、S字状にひねった姿態の艶めかしさには思わず見入ってしまう。右手前の役行者三尊や、左の少々困り顔の不動明王も良い仕事をしている。

 龍泉寺にはこれ以外にもいろいろと興味深いものが多い。以前に登山目的で来た時には寺社・石仏には全く興味を持っていなかったが、今回違った目で見ると、また全く異なった世界が見える。

 

  洞川の某所にある秘境「鹿の苑」。

 

 よく鹿が来ることからA君が命名。カルスト地形で、小規模な洞窟などがあり、ほかにも未調査の支洞がありそうだ。冬だというのに霧のような雨で、なんとも幻想的。ほぼ異界。

 

 1月22日 A君Tさんと共に京都府笠置町笠置山登山(標高差40m)と、途中の何か所かの石仏探訪。夜、F宅で一杯。

 

 ↓ 京都府笠置町笠置山。笠置岩。

 

 いくつかの摩崖仏等のある、巨石群の山。登山としては標高差40mほどでしかないが、それらを見て歩く分には充分楽しめる。

 これは後方が笠置石、手前が鎌倉後期の元弘の変の戦死者供養塔といわれる十三重層塔。相輪は、請花・宝珠を失っているが水煙まで残っている。

 

 ↓ 弥勒摩崖仏(跡)

 

 奈良時代弥勒菩薩像が線刻されたが、数度の火災によって残っているのは光背のみ。それでも何か充分な存在感がある。存在しないものの存在感。

 

 ↓ 同上再現図

 

 最近の研究によって当時の線刻の図柄がデジタル画像で再現された。これは収蔵庫にあった再現画像。ガラスに周囲が写り込んで少々見辛いが…。

 

 ↓ 平等岩にて

 

 あれこれの見どころの中でも一番楽しかった平等岩にて。標高は288mと低いが、木津川を挟んで周辺の山々が気持ち良く見える。覚えずこんなポーズをしていたらしい。

 

 ↓ 平等岩胎内潜り

 

 狭くて少々危なっかしいせいか、危険防止のため(?)標識も出ていないが、この平等岩の下の狭い裂け目こそこそ本来の(?)胎内潜りだろう。最後は四つん這いになって脱出。

 ここをハイライトとして、あとは後醍醐天皇ゆかりの行在所跡、貝吹岩、紅葉公園をへて、大師堂、笠置寺へと戻る。ゆっくり歩いて楽しめるルートだった。

 

 1月23日 午前中、明日香村の川原寺跡を見て、午後帰京。収穫の多い、美味しいものの食べられた、面白い旅ではありました。

 

 追伸

1月24~25日 展覧会、旅全般の事後処理あれこれ。

 1月26日 都内某ギャラリーでの一席に呼ばれ出かけ、夕方電車を降りた時点で、いきなり風邪をひいたことを自覚。深夜帰宅後、寝込む。以後三日間、完全病臥。並行して、上下二ヶ所の歯痛に苦しむ。現在、歯痛以外はようやく7~8割方回復したところ。

 

 教訓:いい加減、年齢を自覚して、すべてのお誘いを受けるのではなく、実力・体力と相談し、それに見合った行動をすること。

 反教訓:無理をしなければ、何事も成し遂げられない。

 

(記・FB投稿:2024.2.2)